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  • 2018/11/30 (土)
  •  人吉市消費者連盟が発足したのは昭和56年7月のこと。商業振興へ物申す郡市初の団体という世間の注目に、“過激な発信”の連発で応えた。その中核メンバーだった人の訃報が届いた。気骨ある人をまた失った▼その頃、同市の商店街には不況風が忍び寄っていた。郡市初の大型店の寿屋人吉店オープンは同48年だが、後を追ってユニードが光映跡(五日町)に進出を計画。影響を恐れた中心商店街は大反対し、進出を断念させた。が、ユニードは人吉駅周辺に5階建て、売り場面積1万5000平方㍍で再び計画。商調協の答申は665平方㍍と期待を裏切り、進出話は完全に消えた▼一方、人吉商工会議所では会頭選任を巡り2派が対立。1号議員選挙に55人が立候補し、5460万円の会費が集まる異常事態に。兵ぞろいだった当時の経済人の多くも黄泉の人▼そんな背景を受け同連盟は商議所に内紛正常化さえ求めたのだが、真の狙いは大型店の誘致にあった。だがそれはかなわず、中心商店街も今ではシャッター通り化▼あすから師走。大売り出しの喧騒が商店街から消えて久しい。当時の活気を思い出しながら「あの長い“抗争”で何を得たのか」とも思う。

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