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  • 2018/11/28 (水)
  •  昭和末期の学生時代、都市でバブル経済を目の当たりにし、人吉市へ帰郷。30年前の「平成」の幕開けを鮮明に覚えている。平成最後の師走が近づけば、一時代にまつわる総決算もそろそろ▼人吉球磨の交通、物流の発展などへ大きな変革をもたらした九州自動車道八代―人吉間は元年12月に開通。地方は都市と“一本”の道路でつながり、観光や経済の活性化に胸が躍った▼一方、昭和の高度経済成長に伴うモータリゼーションの波を受けにぎわった国道沿いなどの店舗は、交通体系の変化で明暗を分けたのも事実。平成のちょうど半ば、中球磨5カ町村は県内第1号“平成の大合併”であさぎり町となり今に至る。合併時に“誕生”した子どもは義務教育を終える年ごろだ▼きょうの小紙は、長年、ゆのまえグリーンパレスで親しまれた大水車が老朽化により解体される内容を伝えている。直径14.1㍍、平成4年から5年にかけての建設当時は世界一を誇り、初めて見た際、ゆっくりでも力強く前へ進む大切さに気付かされた▼平成に端を発する出来事は山とあり、成し得ていない道半ばの案件も多々。次世代へ受け継ぐべきは何か―。その“決算期”でもあろう。

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