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  • 2018/05/29 (火)
  •  梅雨入りの郡市。雨滴でアジサイが映え、雨上がりの晩にはホタルが乱舞する季節的な光景は日常だ。その普遍性故に地元民は値打ちに気付けない。真価は分かりにくい▼若者はたいてい都会を憧憬する。進化と退化の別を知らずも、変化という刺激を欲して時流に乗ったら気分は爽快。田舎なんぞと高をくくるもつかの間、気付けば“旅愁”を口ずさみ郷愁に暮れ、ふるさとの両親に手紙を出す▼もう口に出すのが面倒となった政治問題各種。結局は“人”が原因を作って騒動を招いた上、恭順の走狗が“イズム”を構築するから厄介だ。非は非ずとの強弁前に、それなりの自戒があればと悔やまれる所業のツケは国民へ▼弘法大師、空海は「毒箭を抜かずして、空しく来処を問う」とわれわれを戒め、伝教大師の最澄は「一燈照隅万燈照国」と諭した。仏教に携わる無欲恬淡な知人は、この世相を読み淡々と「現代は末法ですよ」と教えてくれた▼時が移ろえば、私たちは確実に歳を重ねるが、町や企業は栄枯盛衰の運命に翻弄される。ただし、郡市の景色は今も変わらず、常に温もり豊かに迎えてくれる▼平凡と当たり前がよい。そんな気付きを教示するふるさとの大自然。

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