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  • 2025/07/14 (月)
  •  「数あるトンネルくぐりくぐりて球磨の平野のひらくるところ」▼冒頭は球磨村で昨年3月に閉校した渡小学校の校歌の歌い出し。令和2年7月豪雨で甚大な被害に遭い、明治7年から149年の歴史に幕を閉じた。遊水地の整備が進む渡の今村集落を訪ねた折、冒頭のフレーズを思い出した▼作詞作曲は人吉出身の音楽家・犬童球渓氏。犬童氏は16歳だった明治28年、渡小の代用教員に採用されている。孫の故・鶴上寛治さんは「当時のトンネルと言えば肥薩線。校歌が作られた時代がだいたい分かるでしょう」と▼今村集落を訪ねたのは遊水地の整備に伴い解体される赤れんがの倉の取材。昔、今村集落には肥薩線のトンネルのれんがを製造する工場があったという。入社間もないころ取材で知った歴史を今のうちに記録したかった▼校歌は2番で「幾多支流の水を集めて球磨の奔湍はじまるところ」と渡の自然を描く。奔湍は急流、早瀬のこと。大小の河川が球磨川の本流をつくり、海につながる。その地形ゆえ5年前の豪雨は球磨村全域に被害が及んだ▼復旧、復興と治水対策が進む一方で消える古里の景色。2万号を超えた本紙で記憶の伝承も担えればと思った。

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