- 2025/07/07 (月)
- 5年前の7月4日午後、人吉市中心地を歩く記者の私が見た豪雨災害を語る▼まだ膝ぐらいまで濁水が残る通り。作業をしていた女性とその横を通りかかった女性が目を合わせた瞬間に駆け寄り、堰を切ったように号泣しながら「無事で良かった」と強く抱き合う▼通りに連なる店舗兼住宅で垂直避難した多くの人から「そこのおじいちゃんがいない」などと心配そうに安否確認を求められ、「なぜ自分に?」と思いながらもドアを開けた▼畳や家財道具などが濁流で押し寄せていて入るのも困難。現状を伝えると、彼らもまた浸水が引いた後も1階が危険な状況のため、孤立無援の不安を抱えながら外に出られずにいた▼その直後、消防職員が屋内に入り遺体で発見した。遺体が担架で搬送されていくのを2階の窓などから顔を出す被災者は涙し、私もぼうぜんと見守ることしかできない。災害現場を報道する中でも、初めて目の当たりにした犠牲者に恐怖した▼この経験は決して忘れてはいけない記憶として深く刻まれている。災害報道に携わる者として、命の尊さと、災害の恐ろしさを改めて心に刻み、これからも被災地の現状を伝え続けていきたい。

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