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  • 2020/09/26 (土)
  •  別れはつらいものだが、恋愛など男女間の類いであれば新たな出会いで何とかなる。しかし、死別だけはどうしようもない▼過日、母方の伯母が亡くなってきょうが葬儀。幼少期には、いとこらとも遊ぶなど付き合う距離は近かった。しかし子どもたちの成長を含めた大人の都合もあったのだろう、いつしか関わりも疎遠となったが、それでも血縁ならではの絆はあった▼亡くなったといえば、今回の水害では河畔住まいの遠縁の男性もそう。彼ともそれなりの関係だったがここ数年はスーパーで一、二度声を掛けた程度。独居中の被災を思えばさぞかし怖かっただろう。両者とも、いざ別れを迎えて寂しさが募る▼これらの死別で思うのが親世代を柱とする交流の希薄化。しかし熟考すれば両親は鬼籍、さらにわが子は社会に巣立つ年齢だから半ば当然か。全世代で平等に時は流れそれぞれが加齢、代替わりは進む▼かの一休禅師は順縁のありがたさを説き「親死、子死、孫死」と残す。しかし今は高齢社会、さらに突発的な天災が続く時代でもある。今生の別れは誰もが通る道ながら、理想の手順を得られる保証はないと再認識。水害で亡くなった方々をはじめ彼女の冥福を祈る。

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