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  • 2019/09/05 (木)
  •  昔の本紙を繰っていたら「新しい川上杯 少年に」という見出しがあった。昭和36年だから58年前。折しも今、人吉市では川上哲治氏生誕100年関連の取り組みが始動▼記事は、当時、読売巨人軍の川上監督(42)が金色に輝く優勝カップを寄贈したという内容。その8年前から町内対抗少年野球大会が開かれており、夏休み中の中学生が川上杯を巡って熱戦を展開していた▼新優勝カップは高さ35㌢、幅25㌢。所用で上京した実弟の治徳さん(33)と母ツマさん(63)に託し、主催団体で人吉警察署内の青少年補導連盟に届けたとある。「古くなったので新調の話をしたところ、兄が“僕は子どもと野球に弱くてね…と快く取り替えてくれた」という治徳さんの談話も。川上氏の故郷を思う気持ちがうかがえよう▼その町内対抗少年野球は同40年の7・3水害を機に中止。同46年に人吉青年会議所が復活させ、32町内が3会場で試合をする華々しさだったが、やがて再び中止▼現在、川上旗中学生野球大会はあるが、同市に当時のような野球熱はない。小学校部活動の社会体育移行もあり野球クラブへの入部激減との話も伝わる。川上氏は黄泉の国でどう思っているだろうか。

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