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  • 2018/09/29 (土)
  •  先日、若さを妬ましく思い、わが生き方を悔恨する場に遭遇。天狗の鼻が折れ、身の丈が知れてよかった▼自虐は嫌い、卑下もせず素直に納得できる理由こそ、目前の青年の学びへの姿勢と成長ぶりにある。人は生まれて直ちに、生きるために学び始める。学びとは知らぬを知り、理解し、判断し、行動し、分かち合うことと信じる▼日々の生活では会社や家庭、政治に社会への不満が尽きぬ。怒りが静まる時はなく、わが正論こそ正道との驕りもしばしば。片や八方美人で、消極的友好こそ最善と意志を示さぬ仮面をかぶる。いずれにしても後に自省し思考すれば、それもまた学び▼いよいよ来週から、大学入試センター試験願書の受け付けが始まる。受験生諸君の英知の結集と発揮の瞬間が、越年早々の1月に訪れる。2人の息子を送り出してもなお、まだ2人の義務が残る。学ぶわが子らの姿に触発されそう▼学びといえば、知恵の宝庫たる読書の意欲を加齢が奪う。活字離れという社会問題と同一に断じられるのは心外だ。学びは知らぬを知り理解し判断するもの。大人も学び続ける道理だ▼若手の活躍を阻害せぬ謙虚さもまた、学びの一つと学ぶべきである。

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