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  • 2022/06/27 (月)
  •  早いもので、球磨川とその支流が氾濫を起こした令和2年7月豪雨災害から来月4日で2年を迎える。被災者の多くは、雨が降るたびに当時の恐怖がよみがえるなど現在も心の傷が癒やされることはないだろう▼過去の郡市災害といえば、昭和40年7月3日の水害では死者2人、家屋の流出22戸、浸水家屋は2000戸を上回った。母なる球磨川の氾濫は郡市に60億円を超す被害を与え激甚災害地に指定されたほどだった▼同59年6月29日未明に発生した五木村竹の川のがけ崩れ災害では、5戸が土砂に押しつぶされ、15人が生き埋めとなり死亡。避難中の1人も川に落ちて亡くなった。また、翌60年6月28日は集中豪雨で錦町木上岩城でがけ崩れが発生、老夫婦が死亡している▼2年前の豪雨災害では、県内の犠牲者は65人に上り、うち50人が球磨川流域の氾濫による犠牲者と推定されている。球磨川中流部では至る所で浸水や家屋倒壊が発生し、約1020ヘクタール、約6110戸が浸水被害を受けた▼被災地では、懸命な復旧・復興が進められている。だが水害対策はまだ十分ではなく、再び発生してもおかしくはない状況。それだけに油断は禁物。

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