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  • 2022/06/21 (火)
  •  「雨ニモマケズ風ニモマケズ人ニモ…」と形容したくなる雑草。沖縄地方は早くも梅雨明けだが九州はまだで、十分な水分を得て成長著しい雑草との格闘は続く▼先ごろ、ある施設で除草作業をしたが、空き地を前に被災前の思い出が浮かぶ。発災から2年を経てもなお、復興どころか混迷度合いを深め未来展望の描けない状況の原因はどこにあるのか。所有者家族の心理を思うと不憫で仕方がないし腹も立つ▼雑草とはいえ植物には必ず固有の名称がある。人間に不都合な植物を雑なものと捉え、安易な除草剤散布で済ませる前に草むしりを勧める。植物と静かに相対すればふと、命の存在と懸命な生き方が感じ取れるかもしれない▼丈の低い草は総じて太く長い根茎を持つ一方、高い場合は抜きやすい傾向だ。手抜きを経て各雑草の特長や個性にふれ、懸命に生き抜こうとする“彼ら”の姿に気付く。少々大げさだが命を奪う感覚すら覚える時がある▼さて、この状況を人間社会に置き換えるとどうか。草と同様、不要な“雑人”などは存在しない。独善的思考の横行か他人の存在は無論、命さえも軽視する社会的傾向が気がかりだ。因果応報、その時はいつか必ず来る。

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