HOME>>瀬音

  • 2020/11/28 (土)
  •  7月豪雨災害で越水による甚大な被害を受けた人吉市では、球磨川にある中川原の現状に疑問を呈する声が高まっている▼大橋、小俣橋は慶長12(1607)年、中川原を自然の柱として架けられた。洪水のたびに流失、中川原も被害を繰り返した。相良家の家老村上左近が球磨川の流水を調査し、中川原上流に数個の大石を埋めて流れを左右に分離、それ以来、橋の流失はなくなったという。これが有名な「左近の石」の由来でもある▼中川原は大橋の架け替え後、駐車場やトイレなどの整備が進み、鮎釣りファンやキャンプ場、花火大会の打ち上げ会場などに活用。また、市民にとっては憩いの広場でもあった。災害後はトイレや至る所が被災するなど見る影もなく、現在では立ち入り禁止の状態▼そんな現状を見た市民からは「水害によって大量に堆積した土砂とともに中川原を撤去したら球磨川の水位も低下する。撤去しないと不安で元の場所には住めない」といった声が多く聞かれる▼来年の出水期前までに市としても何らかの結論を出さなければならないだろう。市民の憩いの場として再生するのか、生活のために撤去するのか。市民の関心は高い。

トップへもどる