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  • 2019/12/07 (土)
  •  決して、数日来の低温と曇り空による気鬱が原因ではないと前置き。生きるとは何かと考えるさなか、かの中村哲医師の訃報である。世はまさに無常▼生と死。この両者を哲学や医学、心理学などを通じて思考する学問に触れたことがある。かなり学際的で、誰にでも接点のあるキーワード「死生」にもかかわらず関心が低い。「死」は忌避されがち▼天命に従えば、われわれの余命はすでに決まっている。誕生以降が死への歩みであれば、皆平等に獲得する“時の経過”は、各人が命を削って捻出した結果である。現思考と判断、行動や生き方について、命を削る価値の有無を自問自答の日々▼人は、時とは何げなく過ぎ去るものと思いがち。その実、過程(過去)を無意識に選別し、利己的で心地よい解釈しか求めないため、無駄に命を削っている。生きるとは、そんなにたやすいはずがない▼死を熟考するほど生が見えるとの相関に気付くべきだ。楽ばかりでは苦に抗えず、また逆も然り。「起きて半畳寝て一畳」の娑婆で何を思い過ごすかは各人次第▼23年前、わが身を賭し死生の価値を学ばせてくれた亡父。祥月は半月後と、町のイルミネーションが知らせている。

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