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  • 2019/12/03 (火)
  •  先日、ある葬儀に参列したが近い肉親を除き、これほどつらく感動した式はなかった▼開式30分前にもかかわらず会場は人であふれ、故人の往時の活躍と人柄が見てとれる。その後、式は粛々と進行したが弔問者らの心が揺れた友人代表あいさつの時。慟哭する友、冷静さを失さないはずの後輩ですらむせび泣く▼里帰り出産の次男以外、わが家の3子を取り上げてもらった産科医師との別れだ。直近に見舞わなかった悔恨ほか、23年前の父との別れを想起。遺族らの心機如何ばかりかと心寄り添う。そんな感覚をもたらす式に臨み、誰もが最期はこうありたいと願ったはずだ▼婚姻は何度でもよい。しかし死別の機会はみな平等で一度きり。別れ方や理由、故人との関係性はさまざまだが人は本来、喜怒哀楽を有す感情の生き物だ。無理して仮面せず時には涙してもよかろう。そう思わせた垂泣の死別▼小紙訃報欄では主に高齢の方が名を連ねる。たとえ「大往生」の生存年数でも別れはつらい。以前の小欄で「終活ノート」を扱ったが、「早速、買った」と知人が連絡をくれた▼誰もがいつかは終える人生。死別と追悼の意をあらためて考えさせられる恩人との別れだった。

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