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104歳の愛瀬さん 台湾で終戦、手帳広げ回顧(2025/08/30) (2025/08/30)
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当時の写真が収められたアルバムを眺めながら自身の体験を語る愛瀬さん
 太平洋戦争の終結から80年を迎えた今、この世を去る戦争体験者が増え、当時について生の声を聞く機会は貴重なものとなっている。100歳を超えて元気に水上村岩野の野々平集落で過ごす愛瀬留雄さん(104)は陸軍兵士として台湾で終戦を迎えた経験があり、当時の記憶や平和への強い願いを語ってくれた。

●青年学校での「戦争第一」教育
 同村出身の愛瀬さんは尋常小学校を卒業後、熊本県の青年学校に入学し、軍事教練として車両の整備や銃の扱い方などを学んだ。
 「当時は戦争第一の考えで戦争に勝つための教育が行われていた。病気やけがで休むことなく訓練に取り組んだことで授与される精勤章をいただいたことが誇らしかったことをよく覚えている」と振り返る。
 青年学校卒業後、昭和17年3月、九州南部出身の兵隊で編成される第6師団に入営し、軍事上の勤務に取り組んだ後、同年8月に陸軍の一つである台湾軍に編入した。
 主な任務として車両などの整備に取り組み、教練を受ける間もなく戦地へ派遣された人もいたことから銃の扱い方について指導することもあったと言い、「台湾軍は食糧も十分にあり、命の危機を感じることも少なく、南方にいた人たちと比べると恵まれていた。大空襲を受けた時は事前に情報があり、草木を燃やした煙で拠点を隠したりした。防空壕にいた時、爆撃機のエンジン音に生きた心地がしなかった」と静かに語る。

●敗戦にショック 復員への不安も
 台湾で終戦を迎えた愛瀬さんは、敗戦のショックを受けつつも復員できるかが一番不安だったと言い、一時は捕虜として扱われたこともあったが、台湾軍と現地人との関係は良好だったことから「捕虜として農作業に従事する姿を撮影して形だけの記録を残すこともあった」と厳しい扱いはなかったと話す。
 「復員する船はひどい揺れで体調が悪くなる人も多かった。船は夕方ごろ広島に到着し、原爆投下後の何もない景色が広がっていたことにショックを受けたことを覚えている」と振り返る。

●手帳を後世へ
 復員後は約40年間、62歳まで林業に従事し、その後は仕事の関係で五木村に20年間通っていたこともあり、同村のシイタケ農家に勧められたシイタケ作りを今でも続け、四半的弓道や体操教室に通ったり、自ら運転して買い物に出掛けたりと元気に過ごしている。
 愛瀬さんが今でも大切に保管している青年学校手帳や軍隊手帳には、手帳の常時携帯や紛失しないよう期するなどと心得が記されていて、授業を行った教練教官の名前や愛瀬さんが受けた任務や所属の変遷などが記入されており、「手帳を燃やしたり廃棄する人が多かったが、手帳を残すことで後世に何か伝えられるかもしれないと思い大切にしてきた」と手帳をめくる。
 「人を殺す、殺されるというのは異常なことで、戦争はやっちゃいけないものというのはほとんどの人が思うはず」。
 「同期や共に兵役に従事した仲間たちは1000人ほどいたが、今では30人くらいで、ことしは私と同じ年の人が亡くなったと聞いた。いつの間にか104年を生き、いつ死んでもいいとは考えているが、自分の体験を少しでも多くの人に伝えていきたい」と語る。
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