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絆固く「ここで生きる」 生活再建へ住民ら協力(2020/08/05) (2020/08/05)
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令和2年7月4日の水位を目視した白拍子さんと旧建設省が電柱に掲示する昭和46年、40年の水位
 7月4日の豪雨災害から1カ月。球磨川の洪水で浸水し、死者3人を出した人吉市下青井町は国宝・青井阿蘇神社のお膝元にあり、通りに酒屋、鮮魚店、青果店、床屋、洋服店、温泉、花屋、飲食店、ホテルなどがある昔ながらの街並みが一夜にして失われた。新型コロナウイルスの影響で進まぬ復旧作業の中、日常を取り戻そうと奔走する被災者の思いは―。

●痕跡に「まだ怖い」
 7月29日午後、青井阿蘇神社近くの路地にいた白拍子照子さん(67)は電柱の街灯を指差し、「水位があそこまで上がった。今でも見ると本当に怖い」と証言した。
 当時、電柱の道向かいで暮らす家の3階から水位を目視で確認。その電柱には旧建設省(国土交通省)が昭和40年水害の水位を示す「洪水痕跡」を掲示し、その2倍近く高い場所まで達しているのが証言からも分かる。
 白拍子さんは100歳の母親を介護するため同居していた。先月4日の午前4時ごろ、大雨の音を突いて松岡隼人市長の防災行政無線で避難を呼び掛ける声が届き、「いつもとは違う」と感じた。夫と足腰の弱い母を抱え、必死で上がった2階も浸水し、「3階建てだから奇跡的に助かった」。3階の窓からは屋根に逃げる家族、流される家屋、車、木々などの悲惨な状況が広がっていた。
 現在は3階で暮らし、母は特別に福祉施設に入所している。「夜になると、3階の窓から見える街並みはまだ真っ暗」と語った。

●「半分戻るかな」
 下青井町内は高齢者が多い「老人の町」。老人会長の渕上憲男さん(80)は1日、玄関から通り沿いの災害ごみ、崩れた家屋を見ながら「予想を超えた大水害だった。亡くなった人、遺族には申し訳ないが、もっと犠牲者が出てもおかしくなかった」と振り返った。
 渕上さんの自慢の一つは、昔から暮らす地域の絆の強さ。特に自ら会長を務める老人会は活発だったが、今回の被災で2人が亡くなった。借家に住む高齢者も多く、「借家の多くが解体され、会員も戻ってこないだろう。会員69人の半数が残るだろうか」と心配する。
 戦後、復員した父親ら家族と母親の実家である人吉市に来た。「ここに暮らして74年。一日も早く復旧して、ここで生きる。行政に頼るだけでなく、協力を得ながら自分たちで動く」と、7月の4連休の24日は大雨のため、災害ボランティアの受け付けが中止になったが、町内の有志25人が自主的に参加したボランティアと路地の災害ごみを一掃した。

●「地域の店でありたい」
 全国的に有名なラーメン店などもあり、気掛かりなのが通りに並ぶ店の今後。
 十字路の角にあるマルミツ青果は近所の人たちだけでなく、常連客が多い老舗。1階は店舗、2階が住家で、店主の井上光弘さん(65)夫婦は「水が球磨川を逆流してきた」と話した。あっという間に避難した2階も水につかり、首まで水位が上がってきた。奇跡的に娘との携帯電話がつながり、ボートで救助された。
 梅雨明けした30日、空っぽになった店舗は物資置き場になったり、休憩所として開放。建物は解体するしかないが、井上さんは「娘からの電話がなかったら死んでいた。先代から地域に親しまれて70年。また一からやり直し」と地域と共に生きる覚悟を決めている。

●「笑顔を撮って」
 1カ月を迎えようとする2日は最高気温35度に迫る暑さの中、地域住民の復旧作業が行われた。
 「笑顔を撮ってよ」。参加者の一人である松木龍さん(48)が話し掛けてきた。「毎日の片付けに追われ、きょうが何日か分からない」と話す。最初は自分たちのことで必死だった住民が協力し始め、「自宅の1階を休憩所にして、そこに集まる人たちから笑顔が出るようになった」と感じている。
 この日は災害ごみの片付けに追われる中、「久しぶり」「いつまでいるの」などと笑顔が見られ、松木さんは「1カ月を迎える中、災害を通して地域の絆がさらに強まった。笑顔で乗り越えたい」と話していた。
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