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88年の時を超えて見つかった伝単「日本人民に告ぐ」の実物コピー。表題と本文冒頭
 水上村の自宅に飾られていた茶色く変色した1枚の古い紙。表題の「日本人民に告ぐ」という文字だけが頭に焼き付いていた。トルストイ翻訳家の故・北御門二郎氏(1913~2004年)の遺品整理で見つかったこの資料。長男の妻・たえ子さん(70)は、正体も分からぬまま20数年間にわたり手元で大切にしてきた。昨年末、その正体が解き明かされた。88年前の昭和13(1938)年、中国軍機が球磨川を遡上して散布した反戦ビラ「伝単」の実物であり、戦時下に父がひそかに守り抜いた「信念の証―」だった。

●球磨川遡上と町史の記録
 昭和13年5月20日早朝、中国軍機2機が球磨川沿いをさかのぼり、人吉市から上流の湯前町方面へ抜けた。爆弾ではなく、大量の反戦ビラ(伝単)を投下する「人道爆撃」。爆弾ではないが、日本で初めて空襲を受けたことになったとされる。
 全12ページの冊子「日本人民に告ぐ」(縦11.5センチ、横9センチ)には、日本軍閥を非難しつつも「両国の民衆や兵士は殺し合う理由のない『友人』である」と訴え、共に戦を止めようと呼び掛けていた。
 だが、ビラは即座に回収され、市民の目にふれることはなかったという。本紙が2021年の終戦特集で報じた際も「実物は幻」とされていた。「湯前町史」をひもといても「五月二十日午前四時十五分頃、中国空軍一機黒肥地村の須恵山地方に反戦ビラをまいて飛び去ってからは、いよいよ燈火管制が強化され始めた」とわずか2行の記録にとどまる。歴史に埋もれていた伝単が、水上村で奇跡的に現存していた。

●戦中からの秘匿と日記の言葉
 この資料を守り抜いた二郎氏は、17歳でトルストイを知り「絶対的非暴力」に目覚めた。開戦後は大学を中退して兵役を拒否。勤労奉仕も断り、水上村で自給自足の生活を送り抗した。
 敵国からまかれた伝単は軍や警察に提出する禁制品。所持は危険な行為だったが、二郎氏はひそかに持ち続けた。
 「北御門二郎戦中日記」(2023年出版)の昭和19(1944)年2月7日の文章には、思いが刻まれている。
 「私自身も深甚な同情を中国によせる。そして彼等の表情(訴え)に一掬の涙なきを得ない。公平無私な裁判官にして、日本政府と中国政府の立場において前者を遙かに非なりとしないものが一人であらうか」。
 和解の訴えに対し、「民衆を戦場に駆る権力者は双方罪があるが、日本軍閥の罪は許されぬ」と中国民衆へ深い同情を寄せていた。

●飾られた遺品と父の真意
 「父は生前、伝単について一度も話してくれませんでした」とたえ子さんは振り返る。没後間もなく遺品整理で発見した際、「なぜか引き出しにあったこの紙の文字が頭から離れなかった」という。何であるか分からないまま書斎や遺品箱の上に飾り、20数年にわたり手元で保管してきた。
 昨年末、「戦中日記」を読み返した際、昭和19年2月7日の記述を目にする。「日本人民に告ぐ」。そこに書かれたタイトルは長年飾ってきた紙そのものだった。父が守った資料と、日記につづられた真意が結び付いた瞬間だった。
 「当時ビラは回収され誰も読めませんでした。でも、もし当時の国民が読んでいたら、世相も少しは違っていたかもしれない」。

●父から娘へ継承される平和
 たえ子さんはことし3月、伝単を熊本県立図書館へ寄贈した。たえ子さんは、学校では「敗戦国としての日本」しか教わらなかったが、北御門家に嫁ぎ「本当の歴史は自分で学ばなければならない」と知った。
 「父が求めたのは『一切の戦争のない世界』でした。犠牲になるのは双方の普通の国民です。殺し合う愚かさをやめるべきだと、伝単は良心に訴えてきます」。
 現代の世相に危うさを感じるたえ子さんは語る。「与えられた情報だけでなく自ら真実を学ぶ時間が大切です。熊本地震の時のように人は助け合う優しさを持っています。それを世界の人々と共有できれば争いはなくなるはずです」。
 一度も語られなかった父の信念は20数年間、娘の手で温められ、日記の言葉とともによみがえった。手渡された「平和のバトン」は、私たちに「自ら学び助け合って生きる」という重みを静かに問い掛けている。
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