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  • 2019/01/26 (土)
  •  「人吉のために、俺も老骨に鞭打って出ようか」と知人が冗談。先日紹介した昭和62年の人吉市議選の「74歳元職 50万円選挙で当選」で当時を思い出し、刺激を受けたらしい▼同市議選の定数は戦後第1回の昭和22年の30が次の26年から24、平成11年から22、同19年が20、同23年から18と、人口減少に合わせたように72年間で12の減少。定数オーバーの人数最多は昭和30年の35。もっとも、4区制の第1回の55人オーバーは別枠。最少は先述の昭和62年の1人▼知人の冗談は、今回の現時点で「1人か2人オーバー」のあまり燃えない選挙情勢からだった。「運が良ければ最少の経費で最大の成果…」と読んだのだ。選挙権と先立つものなど条件が備われば立候補は自由。市発展のため、議会のレベルアップのために老若男女名乗りを!と待望する声は多かった。そこへ…▼過去18回の同選では、“当選”と早がてんして“万歳”をし落胆した陣営など逸話も多い。最高裁までいって逆転当選確定もあった。昭和34年のことで、24位当選者が536票、次点が535・72票のあと、無効とされた票の中の有効票の存在が認められた。選挙は1票が貴重なのだ。

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