HOME>>瀬音
-
2026/03/26
(木)
- 春の光が注ぐ球磨中央高校の校庭で、すがすがしい光景を目にした。生徒が視覚障がいのあるゲストと一緒に演奏したり、二人乗り自転車を楽しみ、腕を組んで散歩し、弁当の中身を説明する▼高校生たちが何の隔たりもなく交流を深める姿に、一保護者である筆者は、自らの中にあった「心の障壁」を痛感した。大人が「失礼ではないか」「危ないのでは」と不安を抱え、勝手に境界線を引く傍らで、若者たちは軽やかにその壁を越えていった▼以前、視覚障がい者から聞いた言葉を思い出す。常用漢字ではない「障碍」の「碍」という字は、石の前で困っている人がいるように見えないか、という問いだ▼漢字が示すとおり、障害の本質は目が見えないこと自体にあるのではない。道をふさぐ“石”(段差や不親切な環境、周囲の無理解など)や、それをどかそうとしない社会の仕組み、そして私たちの「心」の中にこそある。生徒たちは、共に工夫し寄り添うことで、その“石”をひょいとどけて見せた▼障害はどこにあるのか。それは他者ではなく、私たち自身の中に隠れている。生徒たちが教えてくれたこの気づきを大切に、「心の石」をどかしたい。