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  • 2025/02/05 (水)
  •  あの日、球磨川の流れは牙をむき、町をのみ込んだ。令和2年7月4日の豪雨―。人吉球磨の地に生きる者の記憶から決して消えることのない日である。家々は泥に埋まり、大切なものが濁流にさらわれた。しかし、その翌日から、別の流れが生まれていた▼県内各地から駆け付けたボランティアの人々。じりじりと太陽が照りつける中、長靴を履き、重いスコップを手に、額に汗し言葉少なに泥をかき出す姿があった。「大変ですね」とは言わない。ただ黙々と手を動かし、「また来ます」とだけ言い残して去っていく人もいた。支援物資を運ぶ人、避難所で寄り添う人。見知らぬ誰かの優しさが、傷ついた被災者の心をそっと支えた▼川は、人を運び、町を潤す恵みの流れであった。その流れが時に猛威を振るうことがあっても、決して絶えることはない。人の助け合いもまた、同じなのだろう▼あれから4年7カ月。復興はまだ道半ばにある。それでも、あの日、差し伸べられた手のぬくもりと人の思いを思い出す時、人と人とがつながる限り、この町はまた歩き出せると信じたくなる▼球磨川を目にするたび、穏やかな流れと共に平穏を運んでくれることを願う。

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