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  • 2020/01/18 (土)
  •  ある日の雑談中にふと、ここ数年、結婚披露宴の招待がめっきり減ったことに気付く。なぜか▼わが子の大半はまだ未成年。そして親しい知人の多くは遠隔地のため、祝儀か品を送るばかり。仕事上でも減るのは仕方がない。残る理由はただ一つ。適齢層の超過である▼知人には複数の独身者が並ぶ。ただし彼らに呼ばれる保障はなく、仮に招待されても出無精の身にはいささか気が重い。義理や保身だけ、半ば義務的な出席ではないから気楽だが、出なければ作れぬ縁もある。悩みどころ▼そんな披露宴に代わり、増加傾向が葬儀の類。小欄でも愚痴をこぼすほど親しい知人の旅立ちが相次ぐ昨今、次は誰かと要らぬ思いを巡らせ、亡父の没年とわが年齢差を指折って数える。以前、適齢を過ぎてもお呼びが掛からないと嘆く高齢知人がいた。まだお元気で▼人にはそれぞれの境目がある。勝負の要諦は“駆け引き”で、お役御免のタイミングは継続の要と思う。最近は、責任取れぬ輩が“見境”なく立ち回って困るシーンが増えてきた。これも人材不足の弊害か▼謙虚ながらも責任の取れる大人物の減少が心配。虚勢の張り合いに時を費やす状況下で成長は望めない。

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