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あさぎり町に移住し須恵、エンブリー氏を調べた田中さん
(05/20)

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 昭和10年、妻と娘の家族3人で旧須恵村(現・あさぎり町須恵)に滞在し、丸1年間、日本の農村の社会構造を調べた米国の社会人類学者ジョン・F・エンブリー氏。約80年後に、何かに導かれるように福岡県から同町に単身移住した田中一彦さん(69)。戦前、小さな村でエンブリー夫妻が体感した「はじあい」の精神を、著書「忘れられた人類学者」(忘羊社)で紡ぐ。(尾方 賢一郎) ◎今も残る“協同”の精神 「忘れられた人類学者」で紡ぐ ―あさぎり町に移住し、須恵を調査されようと思ったきっかけを教えてください。  GNH(グロス・ナショナル・ハピネス=国民総幸福)政策を進めるブータンを研究するため初めて旅した平成19年ごろ、エンブリーが書いた「日本の村 須恵村」、エンブリーの妻エラの「須恵村の女たち」を読んで、ブータンと80年前の須恵村がそっくりだと思い、その根底にあるものは何なのかということを調べてみようと思いました。  この本では、エンブリーの評伝的なものがかなり大きな比重を占めていますが、当初はエンブリーとは誰かを知りたいということではありませんでした。須恵の皆さんからお話しを聞く中で、地域に還元するためにも本にしようと思いました。 ―この本を書かれた狙いは何ですか。  私が本を出すことで日本農村研究の名著として読み継がれている「日本の村 須恵村」「須恵村の女たち」という素晴らしい2冊の本をもう一度、世に知らしめたいと思いました。エンブリーの本を通して、当時の日本の幸せを知らせたいと思ったからです。それに、エンブリーの評伝がこれまで全く書かれていなかったので、分かる範囲で調べて残しておきたいと思いました。  今の須恵が80年前とどう変わったかということも取材しました。変わっていないところもあれば、全く変わっている部分もあります。それを知らせることで、地域の幸せを考える素材、ヒントになればと思いました。私の本を通じエンブリーの本を読み直したりして、今に生かしてほしいと思っています。 ―実際に取材、調査されてみて感じたことや気付いたことを教えてください。  この本のテーマを「協同」に定めた理由は、須恵にしかない方言で「助け合い」「支え合い」「分かち合い」を意味する「はじあい」という言葉に出合ったからです。「はじあい」という言葉は、元須恵村役場前にある村民憲章の石碑などにも刻まれています。  エンブリーは「消滅しかけている、消滅するだろう」と書いていましたが、80年たった今も「はじあい」という言葉は皆さんの暮らしの中に溶け込み、暮らしの根底の部分で「協同」が生きていることが分かりました。機能は減ってはいましたが、祭りや宴会を運営する「組」「ぬしどり」という自治制度、贈与交換である贈答や「講」というシステムが、親睦や人的交流のため、ちゃんと残っていることを感じました。  「助け合い」というのは心の問題で、心だけでは継続しません。継承するためにシステムが残っていました。エンブリーが消滅を予測していたものが残っていることがとても貴重で面白かったですね。それに須恵のほとんどの人はエンブリーの名前を知っていました。皆さんがエンブリーを尊敬し、お年寄りを中心にしっかりと記憶に残っていることが、すごい財産だと思いました。 ―今後の目標や活動を教えてください。  あさぎり町に居るときから、須恵を離れたあとのエンブリーも平行して調べていました。戦中戦後に米国政府で大きな役割を果たし、占領政策、特に農地改革に大きな影響を与えたエンブリーですが、「自民族(自国)中心主義」を批判し続け、米国の中で異端視されていました。エンブリーが戦争を防ぐために訴えていたことなどもぜひ続編で書きたいです。2冊目を出すことでエンブリーの全体像が分かるものになるはずです。  あさぎり町に居るときはいろんな人たちにお世話になり、調査のお手伝いをしてもらったりと、本当に有り難かったです。今後も須恵の皆さんの「和綿の里づくり会」の地域づくり活動には継続して参加したいですね。エンブリー夫妻が愛し愛された須恵地区、それにあさぎり町や球磨郡が元気になるのが一番ですので、本を含めそのお手伝いができればと思っています。...

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