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人吉新聞創刊60周年企画 人吉球磨の事始め⑯ 昭和29年から稚鮎放流(2019/02/19)
 「昔の球磨川の鮎は、現在のように稚魚の放流はしなくても自然に八代海の球磨川合流点で生まれ上流へ上流へと上ってきたものです。他県の鮎に比べて品質香気とも高貴なもので、四月末には現在の大橋付近一帯に六、七センチ位の鮎が一杯いました。それがいつの間にか、上流の西村の湯前線鉄橋から球磨川支流の川辺川を上って相良村、五木村方面へ固まっていったのですが、昭和六年ごろ、八代の肥薩線鉄橋上流に遥拝の堰が出来てから漁獲量が減り始めました。昭和二十九年に上松求麻村に富士本発電所が建設されてから毎年、漁業補償費によって稚魚を放流しています。今年も二月初めから鹿児島県池田湖、松永川からトラックで三百五十万匹(昨年は二百五十万匹)を運んできました。この放流のため、他県のものとすっかり区別がつかないようになったなどと言われますが、やはり球磨川の流れで育った鮎は独特の美味と香気があるようで、評判は決して悪くはありません」

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