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  • 2018/11/19 (月)
  •  事業再生中のくま川下り㈱が現在、上天草市の船舶会社と業務提携交渉を進めているが、郡市観光の目玉の一つでもあるだけに一日も早い再生を望みたい▼明治43年に温泉旅館「翠嵐楼」の創業者の川野廉氏が観光遊覧船事業を思いつく。その後、試行錯誤を繰り返し、乗船客を乗せた川舟が翠嵐楼前から葦北郡白石に向けて出発し大好評を得た。これが球磨川下り誕生の瞬間だった▼太平洋戦争も敗色濃厚となった昭和19年に船頭が次々に戦場へと狩り出され、球磨川下りも中断に追い込まれた。同23年に市内の温泉旅館組合と人吉市観光課の合同事業で「球磨川下り定期船組合」を設立し再開した▼戦後の経済復興と歩調を合わせて乗船客も増え続け、所有する舟の数も3社合わせて50隻以上と黄金時代を迎えた同37年の転覆事故を機に3社が合併し、「人吉観光株式会社」が設立され、「くま川下り㈱」に社名変更して現在に至る▼しかし、近年では赤字続きで債務超過状態。事業再生計画の中で目玉だった「急流コース」の復活を掲げるが、球磨川を知り尽くすベテラン船頭の復帰が一番の早道ではなかろうか。早期にその手立てを取ることが必要だ。

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