HOME>>瀬音

  • 2018/11/17 (土)
  •  ことしは“明治150年”だった。といってさほどの行事もなかったのだが、周囲では明治生まれが段々減る。大正、昭和、平成の時代を生き抜き、来春からの5時代目を迎える人が郡市に何人いるだろうか▼過日、昭和から平成時代の60年間の人吉球磨の出来事を本紙で拾い連載した。数十年も前、人吉を陸上競技の指導で訪れた元五輪選手が「狭い人吉球磨から優秀なスポーツ選手を多く輩出」と感心したことを覚えている。人吉支局勤務の他紙の記者は「全国ニュースともなる大きな出来事が次々」と、人吉球磨の“特殊性”を強調した。本紙の発行が60年間続いた要因の一つにそんな一面の加勢があったのかも▼創刊10周年の本紙が社屋を現在地に新築移転。えびの地震発生。球磨川沿岸道路が全線開通。人吉市では球磨川が汚染し始め、村山公園や大畑梅園造成を計画。“明治100年”の昭和43年はそんな、現在への起点ともなる年でもあった▼50年後の“明治200年”の人吉球磨はどんな姿だろうか。半世紀前に人吉市が目指した“10万都市”構想は、市町村合併により“8万都市”として実現しているのか。新元号で迎える年は新たな出発点だろう。

トップへもどる