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  • 2018/10/09 (火)
  •  きょう、郡市の秋祭りでは代名詞の“おくんち祭”神幸式が行われた。神への畏敬を継ぐ伝統行事には何かしら趣がある▼神への畏れは天災などに起因する。予測が立たず、人知の手に負えないはずの災害だが、最近は“人災”が増えてきた。自然を敬わず、私欲のため多少の犠牲を厭わない身勝手な意識の蔓延が恐ろしい▼「天災は忘れたころ…」の警句を残したという地震学の権威、寺田寅彦氏はこれに類してこうも残す。「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と▼周囲を気にするあまり日和見を選択すれば、その心地良さに慣らされ無節操で無責任な言動に至るのがオチ。寺田氏の「正当にこわがる」は真の恐れを知ることで、周囲に散在する阻害要因を判別し対策を講じることと推察する。至極当然だ▼東京五輪など華々しいイベントの陰で中央と地方の格差は拡大の一途。身体に置き換えれば脳と心臓、その他臓器のみ元気で、腕や脚が動かない状況だ。現状を許容する政治から畏れは感じられない▼畏れは敬意を、敬意は融和をもたらす。祭りの盛況、国家安寧を願うくんちの秋。

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