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  • 2018/05/19 (土)
  •  大学アメフト部の危険プレーで、渦中の両校の対応差が歴然である。“いざ”という場合の危機管理こそ、信頼に裏付けられた決断と行動だ。それは日ごろの意識と習慣の賜物にほかならない▼別の強豪校はトラブルの翌日、自校選手と保護者にSNSなどへの個人的中傷を控える旨の“触れ”を出した。これもまた、事態の混乱を未然に防ぐ危機管理の一つであろう▼危機管理といえば“もり・かけ”で対応を誤った安倍内閣。その原因指摘は長期政権の驕りでも何でもよいが、結局は日ごろの意識と習慣の差ではないか。言い換えれば誰のための政治だったかということ▼冒頭のアメフト問題も同じく、騒動の拡大原因は目算の狂いとともに、守るべき対象判断の錯誤である。全ての学生に保護者がいる。長男も同競技の選手であればこそ、加害選手の親の心理がよく分かる▼憤っているはずだがおそらく、息子の未来を握る大学には抗えないのだろう。世論が動かずして、いったい誰が子どもたちの希望と夢を守り救えるのか。私たちの意識もまた、問われている▼解決にはまず謝罪、素直な説明が不可欠。落ち度を知らねば過ちは繰り返す。そう、政治のように。

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