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~世界中の球磨んもん~ ドイツ・ハンブルクに暮らす!
山口 春奈さん(山江村出身)
現地便り1 国際平和村との出会い (2018/07/12)
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当時の日本人ボランティアの集合写真
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デュッセルドルフ空港に到着した子どもたち
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帰国目前の集合写真
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平和な共存を示してくれる子どもたち
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バスの停留所「平和村」
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当時の日本人ボランティアの集合写真
 皆さん、初めまして。
 ドイツに住んで11年目になります山江村出身の山口春菜と申します。
 皆さん、ドイツと言えば何を思い浮かべますか?ビール、ソーセージ、それともメルヘン街道でしょうか?私は正直に言ってほぼドイツに興味・関心がありませんでした。
 しかし、私が中学生時代に見たあるテレビ番組をきっかけにドイツへ強く行きたいと思うようになるのです。
 今回は、私がドイツへ来たきっかけをお話ししたいと思います。
 当時、私が世界ウルルン滞在記というテレビ番組をたまたま見ていたところ、その日は『ドイツ国際平和村』というボランティア団体の放送をしていました。そこに映っていた子どもたちは、けがや病気を抱えていました。しかも、子どもたちは現地の子どもではなく、ドイツから遠く離れたアフガニスタン、タジキスタン、アンゴラ、アルメニアなど紛争地域や医療が十分に受けれない国々の子ども達でした。何の罪もない子どもたちが大人の戦争というものの犠牲になり、親元を離れ必死で生きようと治療に耐え頑張っている姿を見て、戦争に対し大きな憤りを感じたとともに「どうにかしてこの子どもたち力になりたい、子どもたちを笑顔にしたい」と強く思いました。
 その思いはずっと頭の片隅にあり、大学ではドイツ語を専攻し、いつかは絶対にドイツ国際平和村でボランティをすることを目標にしていました。そして大学4年生の時、海外とボランティにはもともと興味があり、海外で何か人の役に立つことをしたいと青年海外協力隊に応募しましたが、残念ながら不採用。
 「ならば、もう『ドイツ国際平和村』へ行こう!」とボランティアの募集要項をチェックしたところ、ちょうどボランティアの開始時期が大学を卒業しての半年後でした。その半年間でドイツへ行くための資金をためようと決意し、バイトを掛け持ちし、2007年夏にいよいよドイツへ発つのです。
 『ドイツ国際平和村』は西ドイツ、オーバーハウゼン市にあり、いろいろな平和活動をしています。その活動の一つとして、子どもたちの治療援助として50年間にわたり、紛争地域や危機的状況にある地域のケガや病気を抱えた子どもたちにヨーロッパでの治療の機会を提供しています。治療を終え、平和村施設でリハビリをし、元気になった子ども達はそれぞれの母国、家族の元へ帰ります。
 いよいよボランティアの開始です。ワクワク、ドキドキ。ボランティアの期間は1年間と決まっています。どういった1年間になるのでしょうか。
 次回はドイツ国際平和村での1年間をお届けしたいと思います。

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◇◇プロフィル◇◇
 やまぐち・はるな、1984年生まれ。北ドイツ・ハンブルク在住。電気製品を修理する会社で、液晶修理部門の責任者兼修理
◇◇紹介地域◇◇
 ドイツ第二の都市ハンブルク。街中に運河が張り巡らされ、港町として繁栄した当時の面影が残る世界遺産の倉庫街や世界最大の模型館「ミニチュア・ワンダーランド」、有名な歓楽街「レーパーバーン」など見どころも豊富。 
◇◇連載リスト◇◇
現地便り1 国際平和村との出会い (2018/07/12)
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